退職を控え、有給休暇をゆっくり取れる時期に、夫婦で長めの旅をすることにした。選んだのはスペインの巡礼路カミーノ・デ・サンティアゴ。ピレネー山脈のほうから数百キロを歩く人もいるが、私たちはガリシア地方のサリアからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの約100キロを歩くことに決めた。
シンプルな繰り返しが巡礼の日々
一日に20キロ弱を歩き、宿に泊まり、翌朝また歩き出す。一週間程度、シンプルな繰り返し。巡礼路を歩きはじめて、印象に残るは風景だった。小さな村ごとに必ずといっていいほど教会がある。巡礼路沿いには家やちょっとした広場、カフェがある。石造りの食物倉庫や教会脇に並ぶユニット式の墓「ニチョス」など、スペインやガリシアならではの景色が目新しい。そして、村を抜けると森や畑。巡礼路は、歩行者だけでなく自転車とも共有されている。時折、巡礼者の脇をスピードを上げて自転車が駆け抜ける。
日々での楽しみは、2時間に一度程度立ち寄るカフェ。屋外テラスでカフェ・コン・レチェを砂糖入りで飲み、ほっと一息つく。靴のひもをゆるめ、足をほぐす。足や爪をいためないよう、休憩には気をつけた。正午あたりでは昼食も取る。細かい野菜が入ったガリシア風スープが体にやさしい。
朝晩の食事はわりとシンプル。宿でパンやチーズ、ハム、サラミをワインとともに。サラダに日本から持参したお茶づけ海苔をドレッシング代わりにかけたら、意外に美味しい和風の一皿になった。妻はパック入りのガスパチョを楽しんでいた。昼は、わりとしっかりと食べた。カフェで「Menu del Dia」(今日のランチ)を頼んだり、レストランで名物のプルポを食べたり。
巡礼路には賑やかな若者たちも
巡礼路では、高校生くらいの大集団と一緒に歩く場面がしばしば。彼らはおそろいのTシャツで歌ったり談笑したり。少し騒がしくもあったが、若者らしい明るさはむしろ好ましく、道の雰囲気を賑やかにしてくれた。若くても日本人の同世代に比べるとぐっと大人っぽいスペインの女子。対照的に、男子は子どもっぽく見える。
休憩などのタイミングで彼らと離れることもある。急に道は静かになり、大人の巡礼の雰囲気に切り替わる。そうしたギャップも楽しい旅。
カフェでは日本人巡礼者と話すこともあった。私たちはサリアからの100キロだったが、ピレネーを越えて300キロ以上を歩いてきた人も少なくなかった。その話に圧倒されつつも、自分もいつか挑戦してみたいという気持ちと、やはり大変そうだという気持ちが入り混じる。熊野古道と合わせて踏破すれば「デュアルピルグリム」の証明書がもらえることも知った。次は熊野古道だ。
ゴールに近づくにつれ、田舎の緑豊かな景色から、サンティアゴへ向かう都会的な雰囲気に移り変わっていく。喜びと同時に、終わってしまう寂しさも覚えた。
休憩を多めに取ったので体調はおおむね良好で、靴擦れもなかった。トレッキングポールは想像以上に役立ち、砂利道や石畳を歩く際に楽に体を保持するなど欠かせない存在になった。日本では常にスマホを手にしてSNSやニュースを見ているが、巡礼中はほとんど画面を開かなかった。巡礼路は一本道で一方通行。ただ歩き、景色を眺める。余計なことを考えない時間がいい。夫婦で歩いたから、多少のおしゃべりや寄り道も。一人ならスマホで音楽を聴きながら歩いていたかも。
ゴールのサンティアゴは霧の中
最終日、濃い霧に包まれたサンティアゴの街に到着した。大聖堂前に着いたとき「無事に歩けた」という安心感がまずあった。巡礼証明書を受け取り、大聖堂でミサに参加し、巨大な香炉「ボタフメイロ」を目にして、ようやく旅の節目を実感。宿に無事にチェックインできるか、荷物を受け取れるかといった心配も杞憂に終わった。観光化された巡礼という印象もあったが、そのおかげで安心して楽しめたのだと思う。
旅の最後は、ぜいたくに食べた。旧市街のアバストス市場では、ホタテを選んで調理してもらい、昼からワインと一緒に味わった。日本では生で食べることも多いが、スペインでは加熱してドレッシングを添えるのが一般的らしい。グリルされた一皿は格別だった。
夕食は、市場で出会った人に勧められた近くの人気店。プルポ、エビ、マテ貝、鯖のグリル、そして甘く煮たリンゴのデザート。
帰国してからも部屋の隅に置いたホタテ貝の殻や、記念に買った料理用のパプリカパウダーを見ると、旅の記憶がよみがえる。さて、次の熊野古道にいつ行こうか。